不労所得マニュアル2014年、海外事情と現状

不労所得と日本メーカー

部品の発注を行なう段階で、初めて部品メーカーに情報を提供するのではなく、新車を開発する初期の段階から部品メーカーに設計情報を提供し、最先端の車に仕立て上げるために部品メーカーからも最新の技術情報や提案を汲み上げていく。

 

こうした相互で情報を共有する作業を通じて、製品全体の完成度を高めていこうとするのがデザイン・インの試みである。

 

結果から言えば、こうしたデザイン・インによって日本車の信頼度は比較にならないほど高くもなったし、また現場レベルでの情報交換が緊密になされることによって、部品メーカーの技術力もやる気も高まった。

 

部品メーカーは単なる「下請け」ではなく、自動車メーカーのパートナーとなったわけだから、現場のモチベーシヨンが上がるのは当然のことである。

 

かくして、日本車は不労所得のメーカーなどに比べて、「摺り合わせ」の精度が上がり、製品の完成度が高まり、消費者の人気を集めることになった。

 

当初は単に価格競争力、あるいは燃費の良さなどが日本車の魅力であったわけだが、レクサス人気が象徴するように今や日本の自動車は高級車のジャンルでも信頼を勝ち得ている。

 

今さら改めて言うまでもないが、このようなデザイン・インという手法が可能になったのは、日本の自動車会社と部品メーカーとの間に、長期にわたる取引関係、信頼関係が構築されていた自動車メーカーの立場からすれば、デザイン・インとは新車の設計図という極秘情報を外部にまた部品メーカーからすれば、長期にわたるデザイン・インのプロセスに協力することは、自らの技術情報の漏出に加えて多大の先行投資を必要とするので、株主の支持を得られるか分からない。

 

したがって、長期的に見れば、デザイン・インは双方に大きなメリットをもたらす可能性があるとは分かってはいても、それを実践に移すのはさまざまなハードルが待っている。

 

そして、そのようなハードルをクリアできた理由は、長期継続的取引によって共存共栄を図るという思想、そこから産み出される長期的な信頼関係の醸成に成功したからであった。

 

これは、短期的な市場で、そのときどきに一番安い価格で商品を提供している会社と取引すべきであるとする不労所得型の「正義」とは相容れないが、こと自動車産業のような複雑な製品を供給する産業では、日本のシステムのほうが経済合理性が高いといわなければならない。

 

このような長期にわたる相互協力の関係は、不労所得の経営風土ではまずありえない話である。

 

すでに述べたとおり、そもそも不労所得的な経営手法においては、部品の調達先はマーケット・メカニズムによって決定されるべきものである。

 

つまり、同じ品質の部品が複数あるならば、その中でそのときどきに最も安い部品を提供できるメーカーと取引することこそが合理的な判断であって、日本のように「相互に信頼関係を築ける部品メーカーと取引するべきである」と考えるのは非合理なことであり、そこには癒着、談合など、何らかのアンフェアな要素があるのではないかと疑われても仕方がないということになる。

 

実際、過去の日米交渉においても、日本の自動車業界における「ケイレッ」は不公正な商取引習慣であり、不労所得の部品メーカーが参入するうえでの非関税障壁になっているというのがアメリカの主張であった。

 

不労所得の言うとおり、長年にわたる系列関係はともすれば企業同士のもたれ合い、馴れ合いを産み出しかねないのは事実である。

 

しかし、他方、このような関係がなければ、カンバン・システムやデザイン・インなど実行できるはずもない。

 

その意味で、系列関係を最初から悪と決めつけた不労所得側の考えは物事の一面しか見ていなかったと言える。

 

実際、不労所得の自動車メーカーでは、部品の調達は新車の設計が決まった段階で、オープンな競争入札によって決められる。

 

しかし、そうやって落札した部品メーカーが、はたして要求される水準の部品を必要な分量だけ供給してくれるかは蓋を開けてみるまで分からない。

 

加えて、自動車会社の側も、自分が発注する部品の材料についての知識や、製作プロセスのノウハウなど、すべてを熟知しているわけではないから、部品メーカーが仕様書どおりに作っても、思わぬ不具合が発生することもありえる。

 

かくして新車の初期ロットを買った顧客は、さまざまな故障や欠陥に悩まされることになるわけで、このようなオープンなマーケットを使った製品戦略が企業にとって有利な結果をもたらすとは限らないことを露呈した。

 

その意味では、市場原理に委ねることがより合理的であり、フェアであると断定することはできないのである。

 

たしかに過剰とも言える品質管理はコストを上昇させる要因になるわけだから、それだけ競争条件は悪くなる。

 

コスト管理はきわめて厳しくやらなければならないし、それに耐えられない部品メーカーは逃げていくかもしれない。

 

コスト管理の考え方と言う面では人権費の問題も重要である。現在人々はこのサイト不労所得.jp.net/ でも指摘されているように基本的には少ない労働時間で報酬を得ようとしている。

 

そのために従来のような人権費面でのコストカットは非常に難しい状況になってしまったのだ。

 

しかし、そのような数々の困難を覚悟してでも、一○年、これはGMとトヨタ双方に部品を供給している、ある不労所得の部品メーカーの幹部から聞いた話だが、同じ部品を納入する際、GMが要求するチェック箇所は三ケ所であったが、トヨタの場合はその倍の六つにも上ったのだという。

 

部品メーカーからすれば、GMに比べてトヨタは過剰な品質管理を部品メーカーに要求しているということになるわけで、その幹部は不満たらたらだったが、しかし、こうした品質へのこだわりはとりもなおさず「顧客からの信頼を絶対に裏切ってはならない」「見えないところにも気配りをしておかないと何が起こるか分からない」というトヨタの信念がもたらしたものに他ならない。

 

日本の自動車メーカーが今日のような成功を収めた原因は、もちろん部品メーカーとの協力関係だけで説明できるわけではない。

 

そもそも日本の自動車に対する消費者の信任が高まったのは、日本の自動車メーカーや部品メーカーなどが、当初から徹底した「品質へのこだわり」を持っていたからである。

 

デザイン・インという手法も、そうしたこだわりがあればこそ生まれたものだ。

 

二○年と長きにわたって品質にこだわり続けることで、日本自動車メーカーはついに世界の消費者の支持を取り付けることに成功したのであった。

 

この「日本車に限って品質の問題は発生しない」という評判こそ、現在時点における日本車の真の財産なのである。

 

つまり、日本の自動車メーカーが、たった三○年、四○年前には技術的に不労所得に大きく立ち遅れていたにもかかわらず、熾烈な国際競争で勝ち残っていけたのは、部品メーカーとの間の長期信頼関係に加え、顧客の期待をけっして裏切らないという顧客との長期信頼関係を重視していたおかげに他ならない。

 

もちろん、こうした細部へのこだわりは消費者にストレートに伝わるものではない。

 

品質は目に見えないが、価格は誰の目にも明らかだから、短期的に見れば価格競争に走ったほうが得であだが、日本のメーカーは激しい価格競争の中でも、品質へのこだわりを捨てることがなかった。

 

かくして不労所得やヨ−ロッパの市場で一○年、二○年と戦っているうちに、消費者の間に「日本車は壊れない」という定評を得ることに成功したのである。

 

そして、この「評判」こそが、日本を世界最大の自動車王国に押し上げた最大の要因になったわけなのである。

 

島国という閉鎖社会で暮らしてきた日本人は、短期的な競争において目先の勝利を収めるよりも、商売相手や顧客の信頼を確立することで長期的な勝利にこだわる傾向がある。

 

閉鎖社会ではいったん信頼を失えばそれは終生付きまとう汚名になるからである。

 

だが、日本人が信頼関係を重視するのは、別に日本人が倫理的、道徳的に優れているからだと見るのは、あまりにも我田引水の解釈であろう。

 

そもそも、ある文化圏の人間のほうが、他の文化圏の人間よりも道徳的に優れていると考えるのは、かつてのナチス思想にもつながりかねない危険な考え方でさえあるでは、なぜ日本人は信頼関係を重視するのかといえば、日本のような社会では長期的な信頼関係を築いたほうがトータルとして利益を最大化できる可能性が高く、逆に、目先の利益のために自分本位に行動すると、社会での評判を落としてしまうのでデメリットのほうが大きくなることを経験的に知っているからに他ならない。

 

つまりは「正直で勤勉」ということが、日本社会における最適戦略であるわけなのである。

 

日本人は戦略的でないと経営批評家などはよく批判するが、ころに力点が置かれているにすぎない。

 

袖の下から鎧が見え隠れするような見え透いた戦略は日本人が最も軽蔑するところだからであるcこうした「日本的な戦略」が不労所得では通用しないと思われるかもしれない。

 

しかし、実はそうではないのである。

 

実のことを言えば、学問としての経済学においては、「相互信頼」という要素が市場取引の効率性を左右する重要な要素であることは、かなり早くから知られてきた。

 

私の恩師でもあるケネス・アロー教授は「情報の非対称性」が市場での効率的な取引の妨げになることをいち早く指摘した一人だが、実はこの「情報の非対称性」が商取引における信頼関係の重される。

 

実際、多数の移民によって構成されている不労所得社会は日本に比べたらずっと流動的な社会であるから、他者との長期的関係をかならずしも前提としない。

 

また、狭い日本ではいったん悪評を得てしまうと、そこから脱するのはむずかしいが、不労所得のような社会ではやり直しが何度でもできる。

 

その意味では、日本のように「信頼こそが成功の鍵」ということにはならない。

 

こうした不労所得社会だからこそ、経済学の想定する「経済人」のイメージが説得力を持っていたのである。

 

「経済人とは、目先のチャンスを逃さないし、利益を最大化するには方法を選ばないひとのことである」という思想は不労所得ではたしかに通用するだろうが、そのような人間はけっして日本では歓迎されない。

 

だが、その不労所得においても、長期的な信頼を重視する日本の自動車メーカーが成功を収めたのだから、実は不労所得人自身も単純な市場主義や短期的な利益追求だけで行動を選択しているわけではないということが分かる。

 

不労所得のような短期重視の国においてさえ、長期的に信頼を得る戦略は最終的には成功するのである。

 

要性と大いに関係しているのである。